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『一度きりの大泉の話』萩尾望都 書評

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『一度きりの大泉の話』を読んで

ずっと封印されてきた「大泉サロン」のできごと

今、世間をざわつかせている『一度きりの大泉の話』、遅ればせながら読みました。 

もともとマンガ作品は好きだけれど、作者のプライベートや人となりはそれほど気にしたことがないので、初めて知る話の内容の数々に衝撃を受けました。 

よく「花の24年組」などと言われ、その中でもレジェンドの竹宮惠子氏萩尾望都氏。 

なんとなくイメージで、お互い良き理解者であり、お互い研鑽し合う良きライバルなんだろうなと勝手に思っていました。 

しかしそれは私が自分で勝手に作り上げた幻想でした。 

実際にはある事件によって大泉で共同生活(「大泉サロン」とも呼ばれていた)をしていた両氏は決裂し、長いあいだ没交渉となっていたのです。 

よく揉め事があった場合に、「片方の意見だけ聞くのではなく、両方の意見を聞かなければならない」というのがありますがまさに今回のもそう、いや両方の意見を聞いてよくわかった部分も、かえって混乱をまねいた部分もあります。 

それはことが起こってから50年近く経っていることもあるからです。 
人の記憶は時間とともに風化し、忘れ去られ、あるいは美化され、上書きされます。 
それぞれの状況や立場によっても見方が大きく変わります。 

特に萩尾望都氏は繊細な上に自己肯定感が低いのか、たびたび自己卑下している表現が目立ちます。 

萩尾望都氏がずっと封印して避け続けてきたことが、『少年の名はジルベール』を竹宮惠子氏が出版したことにより、対談やドラマ化の話が持ち込まれ周囲が騒がしくなり、事の顛末を話さざるを得なくなったとのこと。 

萩尾望都氏にとっては50年近く前であろうが関係なく、今も思い出すたびに胸を激しく突かれ引き裂かれる出来事だったのです。 

そんなに長い期間血を流しながら耐えてきたその文章を読みながら、私もどんどん重く息苦しい気分に沈んでいきました。 

ご本人も何度も「どうかこれ以上この話をさせないでください」「蒸し返さないでください」と言われているように、周囲の人がそっとしておいてくれることを願うばかりです。 

周辺情報

著者プロフィール

著者萩尾望都氏のプロフィールです。

萩尾望都 

漫画家。1949年、福岡県生まれ。1969年デビュー。 

SFやファンタジーなどを巧みに取り入れた壮大な作風で唯一無二の世界観を表現し続け、あらゆる方面から圧倒的なリスペクトを受けている。 

1976年『ポーの一族』『11人いる! 』で第21回小学館漫画賞、1997年『残酷な神が支配する』で第1回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞、2006年『バルバラ異界』で第27回日本SF大賞、2010年にアメリカ・サンディエゴ・コミコン・インターナショナル・インクポット賞、2011年に第40回日本漫画家協会賞・文部科学大臣賞、2012年に少女漫画家として初の紫綬褒章、2017年に朝日賞など受賞歴多数。 

出典:Amazonより

竹宮惠子プロフィール

竹宮惠子氏のプロフィールです。

竹宮惠子 

1950年徳島市生まれ。マンガ家。1968年マンガ家デビュー。1970年上京し、後に「大泉サロン」と呼ばれる東京都練馬区大泉にあるアパートに住み始める。1980年小学館漫画賞受賞。2000年より京都精華大学教授、2014年学長に就任。同2014年紫綬褒章を受章。2018年任期満了により学長を退任。同年、日本マンガ学会会長、国際マンガ研究センター長に就任 

出典;「BOOK著者紹介情報」より 

『一度きりの大泉の話』の特典

『一度きりの大泉の話』には以下の特典がついています。

・「萩尾望都が萩尾望都であるために」(文・マネージャー 城章子) 
・萩尾望都が1970年代に描き溜めた未発表スケッチ 
・ マンガ『ハワードさんの新聞広告』31ページ 

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